editor's museum
小宮山量平の
編集室



ロシア企画室

 チェーホフが子どもを主人公にして書いた短編のひとつ、「ワーニカ」を父はとても気に入っていたようです。
 グルジアの思い出とともに、父から「ワーニカ」の話を聞いた童画家の土方重巳さん(1915~1986)は絵本の制作を提案。展覧会のために毎年出品作として描き、数年がかりで6枚のワーニカ像を形づくりました。

(前略) 
 たしかに、ワーニカには土方さんの心血が注がれていました。思えばラジオ時代の『ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ』から、テレビ時代の『ブーフーウー』を通じて、かの飯沢匡さんとのコンビで毎日子どもたちに送り届けられる物語は、日本の子どもたちの戦後的な感性を築き上げるためには、大きな役割を果たしました。とりわけ土方さんによる明快な絵や人形やアニメは、日本におけるディズニー的子ども世界を打ちたてたものでした。 けれども土方さんにしてみれば、そんなにも愉しいナンセンス世界の明るさが、どんな子どもたちの歴史的な呻き声の上に築き上げられたものであるのか─── そんな自戒を、大好きなチェーホフの優しさを通して自分に言い聞かせることを忘れまいとするような誠実な画業でした。その画業を一冊の絵本として結晶する約束を私が怠っている間に、土方さんは、倒れたのです。あれから、もう一年がたちました。

小宮山量平 めぐりあいの感動 その11
“子ども像はチェーホフのように”
「一枚の繪」の連載より(1987)

 「ワーニカ」への思い、亡くなられた土方さんへの思いを込めて、父はさらに記しています。
《著者近況》(前述の文章に添えて)
“ワーニカ”だけでは短すぎるので、同じチェーホフによる子守少女の物語“ねむい”と併せ《男の子・女の子》という絵本にまとめようとしています。幸い土方さんのアトリエには少女の絵もありました。

 けれど「ワーニカ」の絵本はその後出版されることはありませんでした。父の心残りのひとつだったと思います。
 それから30年の月日が流れました。

 先週、一冊の本が理論社から刊行されました。“チェーホフ ショートセレクション『大きなかぶ』”。チェーホフ版「大きなかぶ」をはじめ、チェーホフの短編10話が収められているこの本の訳者は、父の長男の小宮山俊平。次男の小宮山民人が編集に加わっています。 そして、その中にありました。───「ワーニカ」!

 今もなお読み続けられ、演じ続けられているチェーホフ作品。『世界文学全集 チェーホフ』(1966年河出書房刊)の解説の文の中で、訳者の杉山誠さん(1907~1968)はこんなふうに記されています。
(前略)
 チェーホフが親しみやすく、しかも偉大な作家であるのは、いかなる人間にも愛情を注ぎ尊敬をはらい、そして、いかなる専制をも排し虚偽をもしりぞけて、人間をみつめ生活をながめていたからであろう。人間とは、そして、人間関係とは、こういうものなのだと、チェーホフの作品はしみじみと親しみ深く語りかけて来るのだ。 (後略)

 そして今回のチェーホフの訳者はこう語ります。
(前略)
 本書は従来から言われているロシア文学の読みにくさ……登場人物の名前がややこしい、場所によって同じ人を別の名や肩書で呼ぶ、人物一覧のページを絶えず見なければならない、などに、私なりの工夫をし、意味や「味わい」を変えずに、読みやすくしようと努めました。それが可能だったのは、チェーホフが常に人物に目を注いでいる作家だからでしょう。舞台を変えても、時代を変えても、十分に成立する話ばかりです。 (後略)
本の帯にはこんなふうに書かれています。
“名作がスラスラ読める!世界文学旅行へお連れします”―
ロシア文学を読むために悪戦苦闘した若い日々を思い返しながら、今、もう一度チェーホフと向き合ってみようかと思っています。
2017.2.15 荒井 きぬ枝
エディターズミュージアムのブログ
「父の言葉をいま・・・その79」



■理論社刊 <世界ショートセレクション> 
ルブランショートセレクション『怪盗ルパン 謎の旅行者』  
ロレンス ショートセレクション『二番がいちばん』  
ジャック・ロンドン ショートセレクション『世界が若かったころ』  
マーク・トウェイン ショートセレクション『百万ポンド紙幣』  
チェーホフ ショートセレクション『大きなかぶ』
      理論社のサイトはこちらをごらんください





 <事務所・連絡先>
〒386-0025 長野県上田市天神1-6-1 若菜ビル3階 エディターズ・ミュージアム 内
e-mail: